今を生きられるか

田舎に住む高校三年生です。バカです。でも、バカなりに考えてます

才能って

僕は自分を天才だと思っています

だから、どんな失敗をしても、天才だから大丈夫って立ち直ります

でも、天才だと思い込んでるから、気づかないこともあります

謙虚さ、原因、努力、修正、人の想い、何よりできない人たちの気持ち…

 

僕は天才に憧れていました

その頃から、ずっと自分はああなるんだと信じて疑いませんでした。ホリエモンみたいに多動力があって、前澤さんみたいにロマンを追いかけて、ヒカキンみたいにどっかり稼いで、落合陽一みたいな天才になる。毎日そんな姿を思い描いては、胸の高鳴りを感じていました

 

それでも、気づいたんです

「努力に勝る天才なし」って言葉は嘘だって

本当は、努力を怠る天才なしなんじゃないかって

自分が天才だと思う人の1日を俺は過ごせるのか?って

頼まれる仕事も、インプットする量も、びっしりのスケジュールも、全部クリア出来るのかって

 

僕は正直無理です。だって休み時間に勉強しないんですよ?休日はダラダラ過ごしてしまうんですよ?やりたいと思ったことも続けられないんですよ?

いまの自分をコントロールすることもできない人間が天才になれるわけがない。天才になる努力ができるわけがない

 

でも、今天才だと言われている人たちはみんな、努力をしている

努力なんて言葉で収まらないほどの努力をしている

毎日自分の限界まで努力していて、昨日より1ミリだけ多く努力できて、次の日はもう1ミリ多く努力できてっていうのを繰り返している

本人が努力を努力なんて思っていないこともある。だから自然と天才になっていく

 

結局天才なくていなくて、本当は天才になれる人間だけが存在しているんだと僕は思う

そしてその人間の条件は、この世に生まれてくることだ

 

ということで、破茶滅茶、滅茶苦茶、支離滅裂の発言たちだったけど、いまから天才プログラマー目指そって話

そのためにまず行動して、行動記録を週一くらいで更新して、伝記でも作ろうってことです

 

まずはaidemyでPythonでも学んで来ます

では!

 

「今」の記しが思考を作る

『思考の整理学』を読んだ

久々の更新

めんどくさくてブログ書いていなかった

 

メンタリストのDaigoさんは私の尊敬する人間だ

氏が先日おっしゃっていたのは

「本を読んだら要約を書くこと」

これをするだけで頭に入ってくる密度が変わってくるんだとか

ただ、やっぱりめんどくさい…書きたくない…

そんなことを思っていたため、本を読むたびこの発言が思い出されて辛くなっていた

しかし、本書を読んで、「ぼちぼちまたやり直して行こうか。」そんな気持ちになった

 

ここからが感想

第一印象はハウツー本

ノート法とかカード法、発酵法やセレンディピティ、手帳に記したりノートに寝かせたり…とまあいかにして思考を整理するか、またそれをアウトプットするか、そもそもどうやって思考するかを書いた本だと思った

しかし、ある一言を見て印象が一変、これは思考の教科書であると捉え方が変わった

その一言が

「思考の整理とは、いかにうまく忘れるか、である。」思考の整理学ーp127

私は高校生である。故にテストがある。もちろんこれは進級、卒業に影響力を持つハードルである。それを乗り越えなくてはまともに学校生活を送れない。ではいかにして乗り切るか

暗記である

学校の定期テスト程度ならば暗記で十分であり、思考の要素など一切ない

そんな常識を持ち合わせていた私にはいささか不思議であった

しかし、この異物を胃の中にしっかりと落とし込んでくれたのが筆者のたとえ話

これはなんとも秀逸であった

(内容は是非とも本書をとって確認していただきたい)

各節ごとに明瞭な例え話、あるいは比喩を筆者は積極的に用いていた。はじめの頃は何が何だか理解に苦しむのだが、ある瞬間、「そのことか」と腑に落ちる

それが幾重にも練られ、深みへと誘っている

また、本書が提案する思考の整理学、と呼ぶべきものは本書を用いて等身大に表現されている。この点も注意しながら読み進めるとまた一味深い

本書は紙とペンを用意しながら読むべき本であると読了して思う

こんな何を言っているのかわからないブログを読むよりは本書を手に取り、筆者の明晰な頭脳を垣間見た方がよっぽどためである

 

今後も考えを表して行くにつれ、本書はかけがえのない軸本になると確信している

 

ps.本書は1986年にかかれた本であるが、素晴らしく未来を言い当てている

是非手にとって欲しい

 

過ちの本質

住野よるさんの『青くて痛くて脆い』を読みました

住野よるさんの作品全てに共通するんですけど、登場人物の人格が自分と掠る…笑

今回は主人公の距離感と、ヒロイン()の理想思想が似てんなぁって感じでしたね

 

※ここから若干ネタバレ含む?

あと、キミスイと同じようなあの特別(または大切)な関係性

恋人というような、わかりやすい関係でもないけれど、友人よりも高潔であって、それでいて親友と呼べるものでもない、不思議な関係…

これはあくまで僕の推測ですが、住野よるさんにはそう行った関係の方がいるんでしょうね、出ないとかの関係はかけませんよ

書けるのならば、とんでもない才能ですが…

僕にも実際そういったような関係の女の子がいるのでわかります

一瞬「この関係に名前つけちゃってよ住野よるさん!」とか思いましたが、名前をつけることによって、その関係が特別ではなくなるんじゃないかなーと考えたり…抽象化された関係を言葉で表せる時点ですごいです

わざわざこれを端的に単語を作って、この大切な関係を蔑ろにして、品というか、格というか、想いみたいなのを勘違いされたくないですしね

とまあこんな感じで最高の本でした

(全然まとまってない…)

 

 

 

 

 

さて、タイトル回収をしたいのですが、皆さんは、過ちの要素、ひいては条件ってなんだと思いますか?

 

僕は、今までずっと、原因があるものだと思っていました

過去のあの選択が悪かった…

あそこであのことに気づいていれば…

とまあ、大体は「たられば」に代表されるように、もし〜だったら、がなくなれば過ちもなくなると

でも、この作品を読んでみると、どうやら違ったようです

過ちってのは、理想を追いかけることだと思うんです

というのも、僕は、この2人は最初から最後までモアイだったと思うんですよ

主人公はヒロの理想を追いかけて走っていたし、ヒロは自分の理想を追いかけて走っていた

この作品は主人公目線で書かれていますが、例の言い合いのシーンなんかは過去のヒロ(理想のヒロ)との対比が行われてますから、やっぱり理想を追いかけていたのではないかと

ヒロはヒロで作中の表情の変化からも本当に主人公を心配して、何もできなくて、でも何かをしたくて、苦しみながら頑張っていたんでしょうね。心の中で核を外さずに

まあ、お互い四年生の時はたぶん、どちらも普通の大学生になっちゃったんでしょうね

あんなに特別だったのに…

ベクトルがずれて、現実と理想を跨ごうとして、時間の流れがわからなくて、人は過ちを犯してしまうんだと思います

 

ま、結果的にはやっぱモアイでしたけど

補い合って、影響し合って、求めあって、共に追いかけたんでしょうね、アオハルかよ

たぶん、大人になった2人は、あの時の自分たちは青かったなぁって、痛いやつだったなぁって、脆い心だったなぁって、酒でも飲みながら理想をつまみに語り合ってるんじゃないですかね

…妄想が入ってしまいましたが、本当に面白い本でした

ぜひ読んでみてくださいね!

やりたいこと

僕ってめちゃくちゃ今の日本の教育の手本みたいに優等生ぶっちゃうんですよ

そんで洗脳されて、型にはまったことしか考えられない、安定主義の最大公約数的な考えをしちゃうんです

いや、正確にはそう思っている風に見せる癖があるんです(人生で2人だけ見抜いてる人がいますが)

優等生といっても、優秀なわけではないです

どちらかといえば手のかからない生徒で、真面目で、与えられた役割はきっちりこなせるみたいな感じです

 

まあ、そんな僕でも、頭のいい人ってわかるんですよ

僕が本当に頭がいいと思っているのは

茂木健一郎さん、堀江貴文さん、森達也さん、落合陽一さん、西村博之さんの5人です

他にもいたかもしれませんが、とりあえず今の(僕の中での)トレンドはこの5人ですね

 

もちろん、頭の柔らかい人、頭の回転が速い人は沢山いますけど、この人たちは正直別格だと思いますね

なるべくこの人たちの思考回路を手に入れられるように今は頑張っているのですが、なかなか難しいですね

 

ただ、この人たちをみて、周りって何も考えてないんだなと思ったんです

まあ、僕は考えるふりをしてるし、動かないし、なにやってんだという感じですけど

 

みんな辛い受験勉強を当たり前にやってるじゃないですか、僕はこれがおかしいんだと気付かされましたね

本当に頭のいい人たちは好奇心で勉強して当たり前に受かったり、はたまたスキルを身につけるためのスキルが高いために難なくクリアしてしまったりするんです

 

それで結局、就職予備校?テーマパーク?とりあえず入れって言われた施設?である大学に何となくで入っちゃうんですよね

 

まあ、僕は大学に入りたいですけど、別に入らなくてもいいかなとも思うんです、高校卒業までにモチベーションのあることが見つかれば

僕が大学入る理由は人目を気にせずやりたいこと、食わず嫌いなことを片っ端から試したいためです

 

僕の母は田舎生まれ田舎育ちなので、大学とかよくわかりませんし、世間体をすごく気にします

高校も田舎で、受験一辺倒でやってきた薄っぺらい先生や、古い考えがいまだに新しいものだと思い込み、これからの時代はこうだ!という先生もいます(具体例は出さないでおきますが)

僕が得た情報からすれば、そんな時代は終わっていると思うんですけどね

 

まあ、でも所詮僕は親の中では最高品質のものらしいので、高校まではそれに付き合おうかなと

ぼくは犬の道を行く人生は嫌ですし、他人が決める、望む未来をそのまま歩くの嫌なので

 

まー環境の理由を使って今動かなきゃ何にも何ねーぞと言われたらなにも言い返せませんが、だとしたら素直に大企業にでも就職します

僕は大企業嫌なんですけどね

 

ちなみに僕が今やってみたいと思ってるのはスマホで政治を変えることですね

完全に受け売りですね、すみません

 

 

今はとりあえず頭を鍛える!

冬雷 繋がりとは

遠田潤子さんの冬雷を読みました

 

結論から言うとめちゃくちゃ面白かったです

 

いやー何が面白いってね、信念が面白い

 

この信念ってのは本全体を通してのテーマということもできるし、主人公の信条ともいい変えれるし、はたまた奇妙な村の風習ともいえるし…

 

とにかくね、この主人公は正直なんですよ

本の中の表現を借りるなら誠実なんです

 

一般的には理不尽と片付けられるようなことにもね

 

 

例えば、主人公の代助は冬雷閣の当主である千田雄一郎に厳しく指導される場面が作中には何度もあるのですが、それを真摯に受け止める

決して泣き言を言わず、小さいはずなのにわがままを言わない。そして自分という存在がどうであるかを自分なりに結論を出し、こうあるべきという道を歩んで行くわけです

まあ、この物語の面白さはその後にあるのですが…それは皆さんの目で確かめていただくとして、ここでは自分のことを書きたいと思います

 

あ、興味ない人はここでブラウザ閉じてもらっていいですよー

 

 繋がりとは

人と人って何をもってして繋がっているんだろう?って考えたんですね、この本を読んで

勿論、色々あると思うんです

血の繋がりとか、近所とか、友人とか

例えばネットでの繋がりとか普通に言いますよね?

なので、それも繋がりと言えると思うんです

 

でも僕が問題にしたいのは、なぜ繋がっているのか?なんです

 

血の繋がりは昔から大事にされてきたと思います

一対の血の繋がりを持った人同士の関係は親子とも呼べるし、親戚って血縁関係がある人 と言えますよね?(間違ってたらすみません)

もちろん、物理的に考えて切っても切れない関係ですよね、血縁関係って

端的に言えば分かりやすい

 

でも、その血の繋がりってどのくらい大事なの?って言われると、平成生まれ、21世紀育ちの僕はあまり大事だとは考えられません

なぜらなら、僕は繋がりの深さはその繋がりの複雑さ、難解さ、そして時間が決まると思うからです

 

愛を込めて育てましたとか言うじゃないですか、それってすごく素敵なことですよね

でもDNA鑑定したら違った、実は夫の妾の子だった、他の女の子供を私に育てさせやがってコノヤロー!みたいなのは世界仰天とかでよくみる話です

僕はこういうのをみるたびかならず思うことがありまして…そんなに生物学的な根拠が大事?って思うんです

 

僕にとって、大切っていう価値観はすごく大切なんですけど、(これは完全に『青い鳥』という小説に影響されています)本当に大切なことは、科学的に自分の子供であることを証明することではないですよね、日頃の恨みを晴らすきっかけでもないですよね、ましてや騙した旦那を咎めることでもないですよね

(少なくとも僕はそう思います)

 

まあその人にとってそれが大切ならそれでいいんですけど…でも、ぼくはそんな事よりも目の前の我が子を愛するって事がとっても大切だと思うんです

目の前の子供を愛する事ができれば、それは過去に愛した記憶を刻み込むことになりますし、今愛する事ができれば常に今を愛する人のために使えますし、未来ではその子が誰かに受け取った愛情を送るかもしれません

これって素敵だと思いませんか?

 

今のすぐ前は過去ですからね

過去は絶対に変えられないわけですが、絶対に変えられないならDNAより信憑性がありますよね

 

(蛇足ですが、DNAだって採る場所によっては違うこともありますし、科学は数学と違って永遠に不変の真理は証明できません。あくまで可能性が高いだけです)

 

だから僕は思うのです、血の繋がりがそんなに大事なのかよと

本当に大切なのはすぐに変えられる今であって、費やしてきた過去であって、無限の可能性のある未来なのではないかと

これらに本当の繋がりが詰まっているのだと僕は思います

 

養子をもらった母親は、我が子を作れない苦しみがあるからこそ血の繋がりを乗り越えて子を愛せるのだと思います

親友は、互いのことを何度も想い、互いを知り、互いを認め、互いに笑いあったからこそ親友なのだと思います

ときに、人は誰かを好きになるときは一目惚れなどという人間の直感によって恋に落ちてしまいますが、恋の魅力とはその難解さだと思います

 

繋がりのきっかけも深まりも、全て時間と複雑さと難解さをもってして、構成されたものなのではないでしょうか

 

そんなことを思った本でした

 

 

追記

論理の飛躍等で疑問がある方はコメントにどうぞ

僕も強く自覚していますが、頭にあるのでそれを吐き出さずに次のことは飛ばしてしまいます

あと、横道にすぐそれますが、悪しからず

不完全

今日は、昨日抱えていた悩み?的なのを克服するために、正解とわからない状態で動いてみました

 

動きながら正解を導き出そうとしたんですね

ただ…常にうまくいくと言う事はなさそうです

ぼくは、「半端にやれば愚痴が出る。本気でやれば知恵が出る。」という先生の言葉を時折思い出しながら過ごすのですが、今日はその知恵を実行してみました

それはうまくいったのですが…そのあとがダメでしたね。完全に頭が回ってなかったです

 

ここではこうしたほうがいいのでは?と思いながら行動せずに、ただ指示待ちでしたね

本当にダメな奴です

先生にはきっかけを待つなと言われました。その通りですね

僕の悪いところ、と言うか苦手なところです

 

でも、ぼくの尊敬する茂木健一郎さんによれば、苦手な事はチャンスらしいので、そう言う発想をしていきたいと思います

咄嗟に動けない、判断できない、機転がきかない

どれも似たような事ですけど、これらが本当に苦手です

世間一般でいう、頭の回転が悪い人なんでしょうね

 

一つ一つ挑戦して、成長していこうと思います

 

まず、動く!

不安

色々と人生うまく行かなすぎて…とてもしんどい笑

(今回は敬体ではなく、心の叫びなので、常体でいきます。この記事どうでもいいって人はウインドウでもタグでもなんでも閉じといてください笑)

 

 

なんというかな…部活、勉強、将来、恋愛、友達、上下関係などなど…色々悩む要素ありすぎて、しかも全部でゴタゴタしてて、内心辛い感じ

 

親は「将来に向けて…」とか言うし、先生は先生で「今の教育界ではこうで、こう言う人生を送る奴がいて…」とか言うし、友達は何も考えてないし、恋愛は我慢してるけど連絡取りたくて気が狂いそうだし、勉強はうまく行かないし、後輩は都合のいい奴らだし…

もう何を信じていいんだか

どうやったらいいんだか

 

でも先生の言葉でどうしても残る言葉がある

それは「動きながら正解を探す奴がいる。お前は正解とわかってから動く」って事

本当にその通り。俺のとってる行動は小学生並みだ。そんなのわかってる。

でも、そうじゃないんだ

俺が言って欲しい言葉はそういう言葉じゃないんだ

だからといって俺がこう言って欲しいと言った瞬間にそれは意味がなくなる言葉なんだ

難しいんだ。なのに、周りの大人たちは正解を言おうとする

もちろん正解は重要さ

でも、大切じゃない。俺が欲しいのは大切な言葉で、正しさじゃないんだよ。励ましじゃないんだよ。頑張れじゃないんだよ。ましてやすごい人の逸話じゃないんだよ。

将来について考えろとか、過去から学べとかいうけど、俺に大切なのはそんなのじゃない

俺は今を生きろって言って欲しいだけなんだよ

大切なものは、いつだって変わらないだろ?

 

 

…お目汚し失礼しました

明日からやります